「維新政治」を表す二つ目のキーワード「イソジン」。これは、コロナ禍のように国民の生命や暮らしが直接大きく脅かされるような事態に対し、維新は幹部が行政の長という立場にありながら「やってる感」ばかりで有効な対応を取ろうとしないことの象徴です。維新の「お友達」である安倍政権や菅義偉政権と、実にそっくりです。

いまだ収束への道筋が見えないコロナ禍。大阪では吉村知事がひんぱんにテレビに出演しているため「大阪はコロナ対策を頑張っている」と誤解している人も多いでしょう。それは正しくありません。コロナ禍による死者数は、大阪府が全国的に突出しています。例えば読売新聞の集計によると、府が「第6波の起点」とする昨年12月17日から今年3月6日までの死者数は1,041人。2位の東京の637人を大きく上回っています。人口10万人当たりの死者も、大阪は東京の2.6倍に上っているのです。

背景として指摘されているのが、高齢者施設でのクラスター(感染者集団)の発生です。感染爆発で医療態勢がひっ迫し、府は高齢者施設で感染者が確認されても、入院させずに施設内で療養するよう求めてきました。そのことが、重症化しやすい高齢者への感染を広げてしまったと指摘されているのです。

維新は「身を切る改革」を唱えて、公的サービスを徹底的に削ってきました。現在、大阪市内の保健所はわずか一つ。実際に大阪市の保健所が一つになったのは維新が台頭する前の話ですが、維新はコロナの感染が拡大しても、保健所の機能強化などには極めて消極的です。カジノのような「弱い者いじめの経済政策」にはとても熱心な維新ですが、一方で住民の生命や暮らしが脅かされる危機の際に、それらを守りきるための態勢作り、政治がいの一番にやらなければならないことを重視しないのです。その結果、大阪では多くの人たちがコロナで命を落としました。これは「コロナ禍」ではなく、維新の政治による「コロナ対策禍」なのではないでしょうか。

そして維新は、自らの政治が行き詰まると、根本的解決にならないパフォーマンスに走るのです。吉村知事がやたらとテレビに出たがるのも、例えば安倍元首相のように「やってる感」を演出しようとしているに過ぎません。吉村知事が突然「イソジンうがい薬の推奨」を掲げ、批判を受けてすぐ撤回したことを覚えている方も多いと思います。それだけではありません。感染の拡大で医療機関などの防護ガウンの不足が指摘されると、吉村知事と松井市長はなんと、感染防止にはほとんど役に立たない雨合羽の供出を呼びかけました。彼らと親しい安倍元首相の「アベノマスク」騒動と、どこか似ていると思いませんか。

府は今になって「第7波に備える」として医療体制の強化を打ち出しましたが、遅すぎます。大阪のコロナ禍が全国で最悪のレベルになっていることは、維新の政治と決して無関係ではないことを、皆さんに知っていただきたいと思います。

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