情報公開と言えば、もう一つぜひご紹介したいのが、私の政権で取り組んだ「硫黄島の遺骨収集問題」です。

私は東京都選出の衆院議員ですが、硫黄島も都内にあります。東京都小笠原村にある硫黄島では、太平洋戦争末期に日米両軍の激しい戦闘(硫黄島の戦い)があり、2万人以上の日本兵が戦死しました。映画などでご存じの方も多いと思います。日本の敗戦後、硫黄島はアメリカに占領されましたが、1968(昭和43)年に日本に返還され、東京都の一部になりました。その後は毎年のように戦没者の遺骨収集が行われ、民主党に政権が交代するまでに約8,700柱の遺骨が収集されましたが、日本側の資料が乏しかったこともあり、私の政権が発足した2010年当時では、約1万1000万人分の遺骨が収集されずに残されていました。戦後65年を迎える年になお、戦没者全体の半数以上の遺骨が、ご遺族のもとに還らずにいたのです。

私は野党時代からこの問題に関心を持ってきました。2006年には、当時の小沢一郎民主党代表とともに硫黄島を訪れ、遺骨収集の現状を視察したこともあります。それでも、野党の立場でやれることには限界がありました。そこで、2010年6月に総理に就任すると、翌7月に厚生労働省と防衛省の審議官クラスの皆さんで構成する「硫黄島における遺骨収集のための特命チーム」を発足させ、遺骨収集の強化に乗り出しました。チームのトップは、以前からこの問題に強い関心を抱いていた阿久津幸彦首相補佐官にお願いしましました。

硫黄島には自衛隊が駐屯していますが、遺骨収集は厚労省中心で進められてきました。この「縦割り行政」を打破し、両省の合同チームを作れば、作業がスムーズに進むと思ったのです。もちろん、長妻昭厚生労働大臣、北澤俊美防衛大臣も、快く協力を申し出てくれました。

私にはある考えがありました。以前に読んだ本に、米軍がブルドーザーで日本兵の遺体を埋めている写真が載っていたのを覚えていたのです。私は阿久津補佐官にこう言いました。「硫黄島には、旧日本兵の集団埋葬地が必ずあるはずだ。その埋葬地を見つけてほしい。勘に頼った調査ではなく、確かな資料に基づく科学的な調査を、一から始めてほしい」どうやらこれまでの厚労省の調査は、現地で洞窟の中をのぞいて「ありません」と言っていただけのようなのです。それでは何も見つけられません。事前のしっかりした調査が必要です。

阿久津補佐官は私の思いによく応えてくれました。阿久津補佐官を中心とした調査班は、7月下旬に米国公文書館に向かいました。アメリカは公文書の管理がしっかりしています。沖縄の密約問題もそうでしたが、日本政府がいくら「密約はない」と言っていても、実は米国側の公文書は公開されていました。硫黄島も同じではないかと考えたのです。アメリカのジョージ・ワシントン大学院国際関係学部を修了した阿久津補佐官は、この仕事にまさに適任でした。

予想は当たりました。阿久津補佐官たちは40万ページ以上に及ぶ膨大な資料を調査し、日本軍兵士を埋葬したとする米軍の記録を発見。集団埋葬地の場所が特定できたのです。この記録に基づいて現地を調査したところ、2010年度に822柱の遺骨を収容できました。前年度の51柱を大幅に上回る数です。私の後任の野田佳彦政権でもこうした方針を引き継いでくれ、翌11年度も344柱を収容することができました。

これまで遺骨収集が進まなかった原因は、ここで書いたように省庁の縦割り行政の弊害や、日本側のずさんな公文書管理、科学的でない調査など、ほかの分野でも日本政府の問題として指摘されることばかりです。しかし、阿久津補佐官のような専門知識と熱い志を持った仲間に恵まれれば、こうした状況を突破することは可能なのです。戦後処理は日本政府に突きつけられた重い課題です。日本のために亡くなられた方々の遺骨を最後の一柱まで収集することは、与野党を問わず現在の政治の責任で行わなければならないことです。ここでは硫黄島の遺骨収集に触れましたが、硫黄島は国内なので、国の責任で収集作業を進めることは比較的容易です。本当に難しいのは在外戦没者です。シベリア抑留で亡くなった方もいます。まずは硫黄島の遺骨収集をしっかり進めた上で、さらにフィリピンやインドネシア、パラオといった在外戦没者の遺骨収集にもつなげていきたいと考えています。

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