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そもそも海水注入は3月12日19時4分に始まりましたが、私にその報告はなく「待て」「止めろ」と言うはずがありません。
武黒フェローが吉田所長に海水注入中と告げられ「総理の了解が取れてないので待ってくれ」と言い、本店も中断を指示したのです。
だが所長は指示に従うふりをして注水を続けました。

震災発生から2カ月あまりが過ぎた2011年5月20日。自民党の安倍晋三衆院議員(現首相)は「菅総理の海水注入指示はでっち上げ」と題したメールマガジンを配信しました。福島原発事故発生翌日の3月12日、原子炉を冷却するために実施した海水注入について「やっと始まった海水注入を止めたのは、何と菅総理その人だったのです」と書かれていました。
翌21日には読売新聞産経新聞にも、ほぼ同じ内容の記事が掲載されました。「菅首相が海水注入をストップさせた」との誤った認識が広がり、当時の野党・自民党は内閣不信任決議案を提出。当時の民主党の一部にも同調する動きが出て、不信任決議案は一時「あわや可決か」という状況になりました。

当時の菅内閣の震災や原発事故への対応についての評価は、歴史の検証を待ちたいと思います。しかし、この海水注入の一件については、事実関係に明確な誤りがあるので、ここで指摘しておきたいと思います。

結論から言えば、私をはじめ官邸の政治家が、海水注入を止める指示を出したことはありません。むしろ私たちは「早く注水するように」と指示していました。

原発は全電源喪失により冷却機能を失い、炉心溶融(メルトダウン)の危機に瀕していました。私たちは真水を注入して冷却を続けていましたが、やがてその真水もなくなり、私たちは海水を注入するかどうかの判断を迫られていました。

震災翌日の12日18時前から、私は、海江田万里経済産業相、班目春樹原子力安全委員長、経済産業省原子力安全・保安院の幹部、東京電力の武黒一郎フェローらと対応を協議しました。班目委員長は「海水で炉を水没させましょう」と提案。専門家たちの間では「真水がなくなったのであれば、冷却のために海水を使うことが必要だ」との認識で一致しており、私たち官邸の政治家も異論はありませんでした。

海水注入がどれくらいの時間で始まるのかを聞くと「2時間ほどかかる」との答えでした。2時間あるのなら、その間に二つほど検討してもらいたいことがありました。海水を入れた時、塩分で原子炉が腐食する可能性はないのか。また、溶けた核燃料がある大きさ以上の塊になり、連鎖反応が再び起きる「再臨界」が起きる可能性はないのか。以上の2点です。
班目委員長は再臨界の危険性について「ゼロではない」と言いました。ただ私は、ホウ酸を入れると中性子が吸収されて、再臨界は起こりにくくなるのではないかと考えました。
私は「海水注入が始まるまでの2時間の間に、塩の影響や再臨界の可能性への対策を検討しておいてください」と指示して、いったん協議の場から離れました。

私がこうしたことを気にかけたのには、理由があります。
私はこの日早朝、班目委員長とともにヘリで原発の視察に向かいました。ヘリの中で班目委員長は「総理、原発は爆発しません」と言い切りました。しかしこの日の午後、1号機が水素爆発を起こしました。経産省からも東電本店からも何の連絡もなく、私は民放テレビのニュースで初めて爆発の事実を知りました。班目委員長は「ああ」と言いながら両腕で頭を抱えていました。
これまで「起きない」と言われていた水素爆発が起きた。それだけに私は、対応すべき点を事前に確認しておきたかったのです。
私は、海水注入を「待て」とも「止めろ」とも、一言も言っていません。おそらく、塩の影響や再臨界への対策を検討するよう指示したことが、歪められて伝えられてしまったのでしょう。

東電の武黒フェローは、私が検討を指示した点について確認しようと、原発で対応にあたっている吉田昌郎所長に電話をしました。すると吉田所長から「すでに海水注入が始まっている」と伝えられました。原発の危機を目の当たりにしている吉田所長は、現場の判断で海水注入を始めていたのです。後に判明したことですが、海水注入が始まったのは19時4分だったそうです。
武黒フェローは「総理の了解が取れていないので待ってくれ」と言い、さらに東電本店へも連絡。本店は吉田所長に、海水注入を中断するよう指示しました。しかし、吉田所長は、本店の指示に従ったふりをして、実際には指示を無視して注水を続けたのです。

東電の中でそんな動きがあったことは、私たち官邸の政治家には、一切報告がありませんでした。先に指示した2点についての検討結果の報告を受けた私は、19時55分に海水注入を指示しました。この時すでに海水注入が始まっていたことは、全く知らされていませんでした。
海水注入が行われていることを知らない私が、それを止められるはずはありません。

その後、報道などでは「官邸が海水注入を止めた」という表現が散見されるようになりました。「官邸」というのは便利な言葉で、私や枝野幸男官房長官ら官邸に詰めていた閣僚も、経産省や東電本店の幹部も、ひとくくりに「官邸」と呼ぶことができます。「官邸にいる誰が」という部分をぼかすことができるのです。
海水注入の件で言えば、中止を指示したのは東電本店の武黒フェローです。しかし、それを「官邸」と表現することで、あたかも私の指示であったかのような誤解が広がりました。

安倍氏はその後もメルマガで、『海水注入問題・全責任は菅総理』(5月22日)『海水注入・コロコロ変わる政府説明』(5月24日)と投稿を続けましたが、最初に投稿した6日後の5月26日、東電は記者会見で、海水注入が中断していなかったことを明らかにしました。安倍氏のメルマガの内容は間違いであったことは、この会見ではっきりしました。
付け加えれば、その後の検証によって、1号機のメルトダウンは海水注入が始まる前の11日20時頃には、すでに起きていたことも分かりました。海水注入とメルトダウンの間に、因果関係はなかったのです。この点においても、安倍氏のメルマガの内容は誤りです。

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