今日の一言

政府事故調最終報告についてのコメント


 今日、政府事故調の最終報告があり、以下のコメントを出した。


  政府事故調最終報告についてのコメント

 

 1.本日、政府事故調の最終報告が公表されました。畑村委員長をはじめ委員会の関係者皆様の一年以上にわたるご努力に心から敬意を表します。


 2.今回の報告は、政府や東京電力等の事故対応に関する検証と課題の分析について、総合的かつ客観的な観点から取り組んでいただいたものと認識しております。


 3.政府の事故対応について多くの問題点が指摘されていますが、こうした点については、当時、原子力災害対策本部長(総理大臣)を務め事故対応の最高責任を負う立場にあった者として、真摯に受け止め反省すべきものと存じております。


 4、あわせて、今回の原発事故において最も深刻だった3月15日未明からの「東電撤退」をめぐる動きに関して、その経緯を詳細に分析するとともに、政府と東電の統合本部の設置により情報収集が大きく改善されたと指摘されている点は、事実関係を適切に認識していただいているものと受け止めております。


 5.今回の原発事故を人類全体の貴重な教訓として、原発事故再発防止はもちろんのこと原子力政策の在り方そのものに、どのように活かしていくかが今問われています。私としても今後ともあらゆる努力を尽くしてまいりたいと考えております。

成長戦略のかなめ


  経済界の一部が原発維持発言を強めている。


  原発がないと電力が不足し、また電力料金が高くなる、と理由を述べている。しかし再生可能エネルギーの活用を拡大し、その間、化石燃料を利用すれば十分電力供給は可能。将来は、脱原発、脱化石燃料も視野に入れることができる。また料金も、一時的には上がることはあるが、原発を動かし続けた場合に発生する核廃棄物の処理を考えると、国全体としてのコストは原発を稼働し続ける方が高くつく。


  また、再生可能エネルギーへの投資は大半は国内需要となり、雇用拡大にも役立つ。その上、再生可能エネルギーは石油や天然ガスのように外国から輸入する必要がないので、その点でも国内需要につながる。


  経済界も、原発シフトから再生可能エネルギーシフトへ転換しつつある。福島沖の浮体の風力発電計画やスマートグリッドなどの分野に、日立、東芝、三菱重工など従来原発建設の中心企業も参加している。日本の成長戦略のかなめになるはずだ。

故高木仁三郎さんの「脱原発法」


 昨日、福島県いわき市で開かれた脱原発を目指す地方議員のネットワーク「グリーンテーブル」に招かれた。原発のある地域の声もしっかり聞く必要を感じた。


  1988年、原子力資料調査室代表の故高木仁三郎さんたちが中心となって「脱原発法」制定署名や集会が行われていた。私はすでに国会議員であったが、余り関心を払わなかった。結局当時の国会は動かず、脱原発法の制定は実現しなかった。今振り返ると、申し訳ない気持だ。


  首都圏全体からの住民の退避という、最悪の事態が紙一重であった福島原発事故を経験して、高木さんたちの先見性に頭が下がる思いがしている。国民の意思を国会が代表して、法律の形にしていくために「脱原発基本法」の制定を目指したい。

民主党は崖っぷち


民主党を立て直すことができるかどうかの、崖っぷちにある。何よりも民主党の政治姿勢を明確にすることだ。


  消費税はYES, 原発はNO!という政治姿勢を明確に打ち出すことだ。


  社会保障と税の一体改革は、社会保障制度を維持し、財政破たんを避けるためには苦い薬だが飲まざるを得ない薬であることは多くの国民も理解している。しかし、原発に関する民主党の姿勢が国民の多くから不信の目で見られている。


  私も、脱原発に関し、短期、中期、長期にわたって、安全性と経済的影響について専門家も交えて検討を続けてきた。安全性ではもちろんだが、核廃棄物の処理費用と、再生可能エネルギーによる経済効果を考えれば、できるだけ早い時期の脱原発を決めて、計画的に進めることが経済的にも望ましいことは明らかだ。

国民世論と閣議決定


 脱原発10万人集会に10万人を超す人々が集まった。この人々の思いを脱原発の閣議決定につなげるにはどうするか。やはり、「脱原発基本法」の制定を求める運動を超党派の国会議員で進めることが必要と思われる。


  脱原発は政策であると同時に、一人一人の生き方の選択。各党が党議拘束を外して脱原発基本法への賛否を問うのも一つの方法だ。


  原発比率などの意見を聞く会合では、応募した人の意見の比率以上に電力企業の関係者が多く発言しているようだ。経産省や国家戦略室の事務方が作る文章も、国民世論を原発事業継続に誘導する表現が目につく。原発関連企業の動きも感じる。原子力ムラが危機感を持って、目立たない形で関係者に「やらせ発言」を指示している気配がする。

メデイアによるミスリードが心配


 昨日、「没後5年小田実さんをしのぶ会」に出席。私が学生時代2~3度参加した、小田さんが中心のべ平連のデモは、無党派グループの象徴だった。最近の官邸前のデモに似ている。


  原発比率などについて国民の意見を聞く取り組みが始まった。重要なのは原発ゼロ、つまり脱原発に向かうのかどうかだ。


  3案の中で、15%案が「徐々に減らす」案とメデイアでは紹介されている。しかし、15%案は2030年に15%と言うだけで、その後ゼロに向かうのか、原発を増やすのか不明。しかもその間、使用済み燃料からプルトニウムを取り出す再処理や高速増速炉「もんじゅ」は両論併記で、膨大な費用をかけて研究開発を継続させる案となっている。これでは「徐々に減らす」案ではなく、原発事業継続案だ。


  GDP への影響についても、原発停止だけの影響で、原発に替わる再生可能エネルギーへの投資によるプラス効果は含まれていない。


 エネルギー環境会議の資料は事務方が作っている。内容を十分、分析しないで、言葉をのそのまま使うメデイアによるミスリードが心配だ。

ドイツの倫理委員会


原発の占める比率などエネルギー基本計画を、8月中、それも8月10日ごろまでに決めようとエネルギー環境会議の事務方は考えているようだ。しかし、国民的議論は始まったばかり。一方的に押し切るように、内閣が決めることは絶対にやるべきでない。


  昨年7月、私が「脱原発依存」を宣言したころから、本格的な議論が始まった。経済界の一部は電力不足による経済への悪影響を声高に主張しているが、再生可能エネルギー導入の動きが加速しており、一時的に化石燃料への依存が高まるとしても、将来は原発にも化石燃料にも依存しない世界を実現できる。


  野田政権も、これまでは社会保障と税の一体改革に全精力を注いできた。それは理解できる。しかし、これからは原発を含むエネルギー問題にしっかり取り組んでほしい。


  原発の問題は技術専門家や経済界が議論の中心となるべき問題ではない。文明の在り方を問う問題であり、国民一人一人の生き方にかかわる問題でだ。ドイツでは哲学者や宗教家を交えた「倫理委員会」を設け、議論し、脱原発の方針を決めた。日本もそれに倣うべきだ。

目標の「原発ゼロ」は譲れない


   原発比率3選択肢に関し、全国11か所での意見聴取が始まる。


  野田総理は社会保障と税の一体改革では粘り強く頑張っている。成立するまでしっかり応援したい。


  しかし、脱原発について関しては、野田総理の考える最終目標がはっきりしない。2030年の発電に占める原発の比率について「ゼロ」「15%」「20~25%」の3つの選択肢が示されている。しかし、例えば、2030年に「15%」という選択肢は、その後廃止に向かうのかそれとも維持拡大するつもりか明確でない。


  3.11原発事故を経験して、私を含む多くの国民は原発に依存しない社会、つまり原発ゼロの日本を目指している。この「原発ゼロ」の目標は譲れない。つまり、ゴールの「ゼロ」は譲れない。


  ドイツでは「倫理委員会」を作り、脱原発を決めた。原発をどうするかは、技術や経済の議論も必要だが、最終的には国民がどういう未来を選択するかという生き方の問題。私は「2025年までのできるだけ早い時期に、原発をゼロにする」という公約で次期国政選挙を戦う覚悟だ。

菅直人が語る原発事故(2)


菅直人が語る原発事故(2)(2012.7/12

<発災>

 2011年3月11日、午後2時46分、東日本大震災が発生した時、私は参院の決算委員会に出席していた。決算委員会は前年度の予算を執行した結果である決算についての質疑で、参院ではとくに重視されている。しかしこの日の質疑では、野党議員からは、外国人からの政治献金問題が集中的に取り上げられていた。前の週に前原外務大臣が外国人からの政治献金問題で追及を受け、外務大臣を辞任していた。その直後に、私にも同様の問題があると報道されたためである。

  参院は野党が過半数を占めるいわゆる「ねじれ」状態にあるため、野党の攻撃は激しかった。審議日程などでも野党の主張に配慮して決められ、総理大臣は予算委員会や決算委員会で長時間答弁にあたっていた。

指摘された人物は、私が仲人を務めた人から中学高校時代の同級生で不動産業を営む友人と紹介された人だった。日本名で、外国人とは思っておらず、数年間で合計104万円の献金を受け、政治資金として報告していた。指摘を受け、弁護士に依頼して本人に確認してもらったところ、日本生まれの在日韓国人で、国籍は韓国のままだということが分かり、献金は返却した。その後、検察庁への告発があったが却下され、さらに検察審査会に申し立てもあったが,起訴にあたらないとの決定が下され、法律的には完全に決着した。今後、政治資金を受ける時には日本国籍であることの確認が必要だ。

 地震が起きて、大きな揺れが相当長く続いた。天井から釣り下がっているシャンデリアも大きく揺れた。私はシャンデリアが落ちるのではないかと心配し、答弁席に座ったまま椅子の両側をつかんで、シャンデリアを見上げていた。速記をしていた国会職員は机の下に身を隠していた。

 長い時間の揺れがようやく収まったところで、鶴保委員長が委員会の休憩を宣言し、私はすぐさま国会から官邸に向かった。

<危機管理センター>

 官邸に戻った私は、地下の危機管理センターに直行した。すでに官房長官など集まっており、次々に関係者が参集した。直ちに緊急災害対策本部を設置し、救援体制を組み始めた。まずは人命救助である。最初の72時間がカギといわれる。私は1995年の阪神・淡路の大震災で自衛隊の出動が遅れたことを思い出し、防衛大臣に早急な自衛隊の出動を指示した。防衛省としてすぐ出動可能な人数は2万人ということで、まず2万人の出動命令を出した。そして私から北沢防衛大臣にさらに多くの自衛隊員出動の検討を要請した。翌朝、被災状況をヘリコプターから自分の目で見た。海岸沿いは海と陸の区別がつかない状況であった。各地からの被害報告を聞いて、最大限の救援が必要と判断し、北沢防衛大臣と相談の上、翌312日には出動する自衛隊員10万人体制を指示した。

<原発事故>

 東日本大震災の発災直後には、福島第一、第二サイトの原発はすべて緊急停止した。しかし、地震発災後三陸海岸を襲った大津波により、約1時間後、福島第一原発は次々と全電交流源喪失に陥り、1542分、東電から経産大臣に原災法10条の特定事象の連絡が届いた。更に約1時間後の1645分、12号機の非常用炉心冷却装置注水不能という原災法第15条事象発生の通報が東電から経産大臣に届いた。

<危機管理>

 全交流電源喪失の報告を受け、1636分、まず、「東京電力福島第一原子力発電所における事故に関する官邸対策室」を設置。そして、1645分東電から経産大臣に12号機の原災法15条事象の通報後、1号機については一時水位が確認できたとして特定事象を解除し、更にその後水位が確認できなくなったため1712分に特定事象を再度連絡するなど情報は混乱していた。経産大臣からは1742分に原災法第15条事象等の状況に関する報告とともに、原子力緊急事態宣言にかかる上申案が提出された。これを受けて1903分、原子力緊急事態宣言を発令。同時に、原子力災害対策本部を地震、津波に対する緊急災害対策本部のある、地下の危機管理センターに設置した。

後に、経産大臣に対する第15条通報から原災本部の設置までに時間を要したという批判が出た。中には総理の説得に時間を要したといった見方も出た。しかし、私が原災本部設置をためらう理由は全くなかった。すでに地震津波の対策のための緊急災害対策本部が全閣僚で設置され、危機管理センターは臨戦態勢に入っていた。原発事故に対しても官邸対策室は立ちあがっており、経産大臣の上申(1742分)から原災本部設置(1903分)まで1時間余りかかったが、その間も情報収集や野党党首との会談が行われ、原発事故に対する具体的対応が遅れたことは特になかった。

 未曽有の大地震と津波、それに加えて世界でも初めての複数の原発のシビアアクシデント(重大事故)。この二つの事態に同時に直面することになった。地震については阪神淡路の大震災などいくつかの経験もあったが、今回のような複数の原発がメルトダウンするようなシビアアクシデントは世界でも初めてで、誰もしたことのない経験だった。


二大政党と政権交代


 2003年、私は民主党代表として小沢さんが党首の自由党と合併し、2009年、民主党は小沢さんの働きもあって政権交代を実現した。そして昨日、小沢さんは民主党を離党し、野田内閣打倒を掲げて新党を結成した。


  1993年の自民党離党以来の20年近い小沢さんの政治行動を見ていて、小沢さんは自分の意に沿わない政権を倒すことには熱心だが、細川政権、羽田政権、鳩山政権など自らが中心になって誕生させた政権を守り育てることをしなかったというのが私の印象だ。


  二大政党による政権交代を定着させるに、政権党(与党)の議員は意見は大いに言うべきだが、政権に対しては基本的には守り育てるという姿勢が必要だ。

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