今日の一言

山中教授のノーベル賞受賞


 山中教授のノーベル賞受賞はすばらしい。若いころの功績が後に認められて受賞するケースが多い中で、山中教授はバリバリの現役。再生医療の分野での今後の成果が期待される。


  科学技術分野でのノーベル賞受賞者の多くは、アメリカでの研究経験が、飛躍につながっている。日本人社会の中では突出できにくい何かがある。ベンチャー企業においても同じだ。


  弱肉強食にならない、自由競争を実現することは難しいのか、考えさせられる。

東電福島原発事故・総理大臣として考えたこと



  準備を進めていた本が10月26日発売されることが決まった。題名は「東電福島原発事故・総理大臣として考えたこと」。幻冬舎から新書として出版される。


  福島原発事故については、政府事故調、国会事故調、そして民間グループや専門家による個人的な事故報告がすでに出ている。しかしもっとも重要な当時の記録である、東電本店と福島原発第一サイトの間のテレビ会議の全容が明らかにされていない段階での調査報告だ。事故の実態を明らかにするためには更なる事故調査が必要だ。


  最近、東電のテレビ会議の記録が五月雨的に開示されている。私は、事故発生の5日目の3月15日未明に東電本店に乗り込むまで、テレビ会議で本店と現場の福島原発第一サイトがつながっていることは知らなかった。


  報道されたテレビ会議の様子を見る限りでも、現場は必至で頑張っている。しかし、必要な資材が現場に届いていないなど、本店のサポート体制が十分だったのか、疑問が出されている。


  3月11日の事故発生直後、東電の要請を受け、官邸は電源車を送ることに全力を挙げた。それ以降は特に要請もないので、必要な資材は当然本店が中心となって現場に送っているものと思っていた。


  しかし、事故発生後数日経過しても、現場では直流電源となるバッテリーが足りず、自家用車のバッテリーを取り外して、つないで使ったということがテレビ会議から明らかになった。東電本店単独では必要な資材を送る体制すら取れなかったということだ。


  15日以降は政府と東電の統合対策本部が東電本店内に立ちあがったので、自衛隊、警察、消防など東電以外の部隊による支援体制がスムーズに機能するようになった。

民主党政権の再評価


  昨日は生まれ故郷の山口県宇部市での中学の同期会に出席。私の卒業した宇部市立神原中学校は私の学年が18クラス、一クラス58名前後で、一学年で1050名だった。次の学年が22クラス、その次が24クラスで、最大時生徒数約3600名のマンモス中学だった。

  私の生まれた戦後ベビーブーム時代には年間200万人が誕生した。今は半分の100万人。急激な少子高齢化が進んでいる。

  民主党が子ども手当の充実、高校無償化など、子供に手厚い政策を打ち出したのは間違ってはいない。社会保障と税の一体改革もこれ以上の先送りはできないテーマで、間違ってはいない。脱原発も間違ってはいない。

  民主党政権の3年間を冷静に再評価してもらいたい、と思っている。

脱原発の新しいステージ


 脱原発の動きも次のステージに入っている。


  一つは脱原発と並行して進める、再生可能エネルギー促進のためのインフラ整備だ。具体的には風力や太陽光発電の電力を送る送電線だ。これまで九電力がそれぞれに地域内だけの需給を考えて整備していたのを、全国的に考えての整備にしなくてはならない。風況が良い北海道の北部や東北地方でも、送電網がなくては再生可能エネルギーによる発電は増やせない。国として整備すべきだ。


  もう一つはエネルギーの効率化だ。従来工場などの省エネ化に焦点が当たっていたが、それに加え、ビルや住宅の省エネ化を進めなくてはならない。欧米では窓はほとんど二重ガラスで、そうするだけで、冷房や暖房に効き方が断然よくなる。スマートグリッドによる地域単位または大規模集合住宅単位の効率化も可能だ。


  従来のように、使う電力を野放図に増やしておいて、そのピーク電力に合わせて発電施設を増やすという考え方は変えなくてはならない。電力の使い方を効率化すれば、環境負荷が小さくなるだけでなく、ピーク時に合わせた設備整備が少なくて済み、電力価格を引き下げる効果もある。

脱原発研究所


  原発について、二つのゼロの実現を目指す。これが民主党エネ環調査会で合意された考えだ。


  つまり原発ゼロと、核廃棄物を無害化し悪影響をゼロにすることの二つのゼロだ。核廃棄物の問題を解決するにはまず、プルトニウムを含む新たな核廃棄物を生み出さないこと。つまりは原発の稼働停止だ。そしてこれまでに生み出してしまったプルトニウムを含む核廃棄物や抽出したプルトニウムを無害化することだ。


  このためには「脱原発研究所」を作り、無害化技術を確立することが必要。もんじゅの技術や六ヶ所村の再処理技術を核燃料サイクルのためでなく、核廃棄物の無害化のために活用する研究は考えてもいい。


  

原発事故関連の出版


  原発事故から一年半、事故当時の福山官房副長官、細野総理大臣補佐官、枝野官房長官など官邸で原発事故に遭遇した中心メンバーが書いた本が次々と出版されている。これらを読んでもらえば、当事者がどう考え、行動したかがよく分かってもらえると思う。


  私も、総理退任から一年を経過したので、記憶が薄れないうちに、当時、何を考え、どう行動したのかを記録に残しておくべきと考えて、本を書き始めた。そう遠くないうちに出版できる予定だ。


  福島第一原発と第二原発の合わせて、十基の原発と十一の使用済み核燃料プールが重大事故に見舞われた。本を書きながら当時を振り返り、事故の拡大がよくあの段階で止まってくれたと、改めて背筋を寒くしている。事故拡大が止まらず、これらすべてから放射性物質が放出されていればどうなったか。


  そのリスクは今も存在する。今後の原子力政策は、3・11事故を原点に考えなくてはならない。

電力供給における発想の転換


   アメリカから今日、帰国。


  最後に訪れたサクラメント電力公社は、いろいろな面で興味深かった。協同組合の様な公営事業体で、電力消費者の投票で選ばれる7名の理事が運営にあたっている。


  1975年に導入したランチョ・セコ原発を1989年、住民投票の結果に従って運転を停止し、廃炉にした。そして、エネルギー利用の効率化と再生可能エネルギーの開発・利用が経営再建の道と考えて進めた。


  従来、日本でもそうだが、電力会社は電力需要に合わせて設備を増強することは当然であり、それによって収益を上げると考えられてきた。しかしサクラメント電力公社は省エネや、ピークカットなどで、電力需要を制御することが環境被害を最小化し、コスト引き下げになるという発想で取り組み、成功している。


  面白いのはクーラー利用を少なくするため、各家庭に樹木植える援助をするなど、まさに発想の転換である。


 興味のある方は詳しい本や視察報告もあるので、ぜひ読んでみてほしい。

アメリカの脱原発都市・サクラメント


   カリフォルニア州の州都、サクラメント市は、1989年、住民投票で脱原発を決議し、稼働していた原発を、翌日、停止した。今日、サクラメント電力公社(SMUD)で、この話を聞いてびっくりした。アメリカはフランスと並ぶ原発大国で、脱原発の話はほとんど聞いていなかったからだ。

 

  サクラメント電力公社は原発の稼働停止で約20億ドルの負債を負ったが、それを返済し、天然ガスと共に、再生可能エネルギーを拡大している。電力料金も他の地域に比べて変わらないか少し低いそうだ。

 

  市内にあった原発本体は解体したが、今でも使用済み燃料の監視には相当の費用がかかっており、原発規制組織のNRCの視察があるという。 電力公社の理事7名は選挙で選ばれており、住民投票の結果を尊重して公社を運営している。

 

  アメリカでも脱原発を実践している都市がある事を知って、心強い。

サクラメント


    カリフォルニアの州都、サクラメントに来ている。米国は電力行政でも州の権限が強い。カリフォルニア州では、あらかじめ契約した範囲で強制的にクーラーを短時間停止できる。ピークカットには極めて有効、

 

  日本は電力会社が電力料金を決めることができる考えられないシステム。競争のない事による。地域独占をやめることから電力改革は始まる。

米国の再生可能エネルギー事情


   ニューヨークの国連で行われた、ポストMDGsのハイレベルパネル第一回会合に出席。この会議はキャメロン・英国首相、ユドノヨ・インドネシア大統領、サーリーフ・リベリア大統領 の三人が共同議長となり、2015年以降の国際開発目標について話し合う会議。

 

  ノーベル平和賞受賞者など多彩な顔触れの20名余りがメンバーで、来年5月ごろまでに結論をまとめる。次回は11月にロンドンで開かれる予定。世界の貧困の根絶や保健、教育の増進など、日本はこれまでも特に力を入れてきている。今回も玄葉外務大臣主催の公開対話には会場いっぱいの参加者であった。

 

 9月26日、ニューヨークを離れ、米国の再生可能エネルギー事情の視察のため、まず、ワシントンを訪問。連邦エネルギー規制委員会、米国エジソン電気協会、米国風力発電協会などの関係者と会談。送電線の強化など参考になる話を聞いた。

 

 9月27日はカリフォルニアに向かう。

今日の一言 トップに戻る