「福島原発事故」特設ページ

1.事故対応3つのなぜ
(1)なぜ福島第一原発にヘリで飛んだか(3月12日)
<ポイント>
東電が申し出た格納容器のベントが実行されず、東電担当者が理由を即答できないなど、現場の様子が分からなかったからです。
吉田所長は「停電で手動ベントのため高線量で作業に時間がかかる」と述べ、「決死隊を作ってやります」と答えました。
現場を仕切る人物を見極められたのは最大の収穫でした。

(2)「海水注入」の真相(3月12日)
<ポイント>
そもそも海水注入は3月12日19時4分に始まりましたが、私にその報告はなく「待て」「止めろ」と言うはずがありません。
武黒フェローが吉田所長に海水注入中と告げられ「総理の了解が取れてないので待ってくれ」と言い、本店も中断を指示したのです。
だが所長は指示に従うふりをして注水を続けました。

(3)なぜ東電本店に乗り込んだか(3月15日)
<ポイント>
3月15日3時頃に海江田・枝野両大臣から「清水社長が原発からの撤退を申し出ている」と伝えられました。撤退すれば大量の放射性物質が拡散して東日本は壊滅します。
私は4時過ぎに呼んだ社長に「撤退なんてあり得ませんよ」と告げ、「統合対策本部を作りたい」「すぐ本店に行きたい」と求めたのです。

最後に、あの日、私が何を語ったか、ご紹介します。
「今回の事故の重大性は皆さんが一番分かっていると思う。政府と東電がリアルタイムで対策を打つ必要がある。私が本部長、海江田大臣と清水社長が副本部長ということになった。これは2号機だけの話ではない。2号機を放棄すれば、1号機、3号機、4号機から6号機、さらには福島第二のサイト、これらはどうなってしまうのか。これらを放棄した場合、何か月後かには、すべての原発、核廃棄物が崩壊して放射能を発することになる。チェルノブイリの2倍から3倍のものが10基、20基と合わさる。日本の国が成立しなくなる。
何としても、命懸けで、この状況を抑え込まない限りは、撤退して黙って見過ごすことはできない。そんなことをすれば、外国が『自分たちがやる』と言い出しかねない。皆さんは当事者です。命を懸けてください。逃げても逃げ切れない。情報伝達は遅いし、不正確だ。しかも間違っている。皆さん、萎縮しないでくれ。必要な情報を上げてくれ。目の前のこととともに、10時間先、1日先、1週間先を読み、行動することが大切だ。
金がいくらかかっても構わない。東電がやるしかない。日本がつぶれるかもしれない時に撤退はあり得ない。会長、社長も覚悟を決めてくれ。60歳以上が現地へ行けばいい。自分はその覚悟でやる。撤退はあり得ない。撤退したら、東電は必ずつぶれる。」

2.ほとんどは事故発生前に原因がある
(1)高さ35メートルを10メートルに
(2)原子力安全・保安院長が経済学部卒
(3)オフサイトセンターが機能せず
複合災害を未想定・3月15日移転

3.情報伝達をめぐる3種類のパターン
(1)現場も誤解(水位計)
(2)現場と官邸のギャップ(ベント)
(3)東電の隠ぺい(テレビ会議・政府事故調調書)

4.原発ゼロの決意
(1)「原発の安全神話」に染まっていた反省
(2)自然災害と原子力災害の違い
(3)「神のご加護」4号機プール<制作中>
(4)半径250km・5千万人避難の「最悪のシナリオ」(3月25日)<制作中>

5.事故後の民主党政権の取り組み
(1)菅政権
「東電免責せず」表明(2011年4月29日)
浜岡原発停止要請(2011年5月6日)
原発比率50%超とした「エネルギー基本計画」白紙撤回表明(2011年5月10日)
「原発に依存しない社会をめざす」と表明(2011年7月13日)
再生可能エネルギーの固定価格買取り制度(FIT)法成立(2011年8月26日)
(2)野田政権
「40年廃炉厳格適用」「新増設しない」「2030年代に稼働ゼロ」を決定(2012年9月14日)
経産省から保安院を切り離し、独立した原子力規制委員会を創設(2012年9月19日)

6.現在
(1)原発の現状
事故当時の54基と建設中まで含む60基のうち、廃炉決定済24基、再稼働9基、設置変更許可済6基、審査中12基、未申請9基。
(2)立憲民主党結成と原発ゼロ基本法案提出
(3)電力会社の債務超過問題と「全原発国有化廃炉法案」

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